2013年12月17日火曜日

戦後断たれてきた食と農のつながり


 以前に行ってきた「食・農を考えるシンポジウム」というのの中の話をご紹介します。

 今回紹介するのは、岡山商科大学教授の岸田芳朗教授の「戦後断たれてきた食と農のつながり」というお話です。

 食と農の断絶が叫ばれて久しいですが、なぜそうなったかについての解説です。



 先生によると、このようになったそもそもの発端は、太平洋戦争での敗戦です。

 従来の価値観がひっくり返されました。

 食に関しても、伝統食から欧米の栄養学を手本とする価値観に転換しました。

 当時の大学教授が、「米を食べると馬鹿になる」といった議論を真面目にしていたそうです。



 このような価値観の転換の背景には、米国の食料戦略があったということです。

 当時の米国では小麦が余剰生産物となっており、その輸出先として、日本がターゲットになりました。

 そこで、上述のような発言や、政府による栄養改善運動の推奨が行われました。

 米国が供出した資金で、キッチンカーという台所付きのバスが日本全国を走るようになり、小麦や油を使った調理方法を教えて回っていきました。



 一方で、米国では生活習慣病の増加が問題となっており、健康食とはどんなものか調査が行われていました。

 その結果、「米国の食事目標」(通称マクガバンレポート)というものがまとめられました。

 その中には、「戦前の日本食が健康食としてほぼ理想的」と書かれていたそうです。
(と言われていましたが、実際はそんなことは書かれていない、との話もあり、現在確認中です。)

 もしもこの通りであれば、言っていることとやっていることが逆ですね。



 いずれにせよ、上記のような取り組みが功を奏し、日本での、米食離れはずっと続いています。

 良い例が非農家の方のお米にかける支出で、お菓子代の半分以下しか使っていません。(米:年間2万5千円、お菓子:6万8千円)

 そして、伝統食が廃れてきた結果として、生活習慣病の増加は大人のみならず子どもにも及ぶようになってきました。

 今では、中高生の4割が生活習慣病予備軍とされています。



 以上のような状況を解決するためには、生産者、消費者ともに意識改革をする必要があります。

 生産者は現場の声をできるだけ多くの人に伝え、消費者は農の生産現場に関心を持つことが重要です。

 具体的には、契約栽培により、各家庭が近隣農家と食料調達の契約を取り交わすといった取り組みが現在でも行われています。

 これにより農家は安定した経営を続け、消費者は安全な食料を保障されます。



 大企業や政府の前では無力で自分一人ではどうしようもない、と思えますが、だからと言って現状のままではどうしようもありません。

 100の議論よりも一つの実践が重要、とのことでした。

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